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2008年1月21日 (月)

「浪費」と「死」

少々宗教的な話にもなりますが、消費(や浪費)は、投資に大きな影響があるので、「消費(や浪費)」と「死」について考える。

次の『 』内は、生きがいシェアリングからの引用です。

『物も、人口も飽和してくると、生きている実感が希薄に思えてくる。(中略)そこで、人は浪費によって一時の生きている実感を求める。(中略)だが、消費による生きがいは、消費できない人への顕示からくるものである。豊かな時代になり、消費できない側の人々が羨望をいだかなくなると、消費の喜びははかなくなっていく。』

次の『 』内は、「ゼロ成長」幸福論からの引用です。

『人は死から逃走しようとしてものを買うのだ。』

確かに、高級車を買ったり豪邸を建てたりする時、満ち足りた幸せな気持ちになることだろう。
では、これと逆の感情になるのはどんな時かを考えると、多くの人の場合、「自分の死」について考える時ではないだろうか。

逆に、「自分の死」について考えることが平気になれば、「浪費」は不要になるのかもしれない。
宗教家はこの境地なのでしょう。(高級車を乗り回し、豪遊している宗教家?もいるようですが)

こうなる(「自分の死」について考えることが平気になる)ための手掛かりになるかどうかは分からないが、これについても触れることにする。

次の『 』内も、「ゼロ成長」幸福論からの引用です。(少々強引に文章をつないでの引用ですが・・・・)

『自分を高めていく、魂を浄化していくということ。そういうふうにしていかないと、やっていけない(中略)ウルトラ変な仕事がいっぱい来ちゃってたわけだけど、これは、自分が成長するための課題を突きつけられたんだ、と思っちゃう(中略)人間というより、世界はうまくできているはずだろう、ということ。そしてそこに自分がいることには、意味があるのだろう、ということかな』

辛いことや悲しいことを経験することで人は成長するのだと思う。

そして、同じような状況になっても、平気な人もいればひどく落ち込む人もいる。
この差は、その人のそれまでの人生経験から推察できるものではない。
また、一生をかけても「完璧な人」にはなれない。

これらの事を考え合わせると、肉体は機能しなくなっても(死んでも)魂は生き続け、成長のために生まれ変わってくるのではないかと思う。
そして、「完璧」に近づく程、幸せに生きられるようになるのではないだろうか。

多くの人が死を恐れなくなり、浪費しなくなれば、投資家は困る・・・・・困る投資家は、人としての成長が足りないのかもしれないが。

こんなことも考えながら、投資しています。

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